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希望という名の光を求めて
走り続けた、あの頃の記憶。

2011年3月11日14時46分。

三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、
深さ約24kmを震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生。
岩手、宮城、福島を中心とした太平洋沿岸部を大津波が襲いました。

テレビに映された沿岸部の壊滅的な状況。

VCMメンバーは幸いにも全員無事でしたが、
一名が津波により愛車を失いました。

続く余震、そして原発事故。
皆が悪夢のような日々を精一杯生き抜く中、
SNSを通じて全国のベスパ仲間から届いたエール。
さらにVCMのメールボックスには、世界中のベスパフレンドから、
お見舞いと励ましのメッセージが続々と寄せられました。

震災発生から4日後、メンバーの一人が
被災した子供たちに支援物資でお菓子を届けた事をSNSで報告。
​そして、今後は個人ではなくベスパクラブとして、
避難所で厳しい生活を過ごす子供たちへの支援活動を提案しました。


"子供たちの笑顔の為に"

この言葉をモットーに始まったVCMの支援活動の賛同者は、
ベスパクラブの垣根を超え、日本中のスクータリストへと
輪のように拡がって行きました。

​我々はこの活動を「VESPA RING」と名付け、
​震災発生から50日目の4月29日、石巻にて第一回目となる支援活動を行いました。












 
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第一回目の活動後、支援の輪はさらに拡がり、
全国各地のベスパクラブ、そしてスクータリストの方々から
​お菓子、おもちゃ、活動支援金がVCMの元へ寄せられました。

2011年5月21日、ベスパクラブ東京代表(当時)の関根慎太郎氏が来仙。
支援金と共に全国のベスパクラブメンバーの寄せ書きが入った
P200Eの​サイドパネルを届けてくれました。















さらにドイツ最大手のスクーターショップの1つScooter Center社が、
VESPA RINGを強力にバックアップしてくれる事になり、
イベント「Scooter Center Open Day」にて来場者から義援金を募り、
集まった全額を2分割し日本赤十字とベスパクラブ宮城に寄贈して頂く流れになりました。













 
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2011年6月19日(日)、VCMメンバー他有志12名が集い、
原発事故で避難する福島の子供たちの元へ向かい、第二回目となる​支援活動
~VESPA RING The 2nd Step~を行いました。

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石巻、そして福島と、2回にわたり
全国のスクータリストの善意に支えられ行って来た支援活動。
しかし2nd step以降、VESPA RINGは大きな壁にぶち当たりました。
それは、"支援を受け入れて貰えない"という現実でした。

震災から数か月が経つと​、各地の避難所・仮設住宅には支援物資が行き渡り、
我々の申し入れに対し「お気持ちはありがたいですがご支援は結構です」との回答が相次ぎました。
全国のスクータリストからは引き続き物資と支援金が寄せられる一方、
我々は全く活動が出来ないジレンマに陥り、
次の支援先が見つかるまで、一旦活動を休止することにしました。


2011年11月19日~20日の二日間、三重県で開催されたイベント
「SKOOTER RIDEOUT!2011@伊勢志摩」にVCMメンバー2名が招待され、
SCOOTER CENTERからの支援金目録を受け取りました。



















その後も支援先を探すも断られる日々が続き、
メンバーからは「もう活動はやめよう」との声も出始めました。
 
そんな中、震災から一年以上が経過した2012年4月、
宮城県議会議員(当時)安部孝先生のご紹介を受け、
七ヶ浜の仮設住宅一帯を管理するNPO法人の事務局とコンタクトが取れました。
メールでやり取りを繰り返す中、既に物資は充分間に合っているが
他にはないベスパクラブならではの独自の支援があればお受けしたい、
といった前向きなお返事を頂きました。

この、ベスパと関連した支援要請に解けない宿題を与えられた気分でしたが、
答えがまったく見つからないまま数ヶ月が過ぎたころ、
映画「ローマの休日」を見ていた時に突然アイデアが閃きました。

髪を切ったアン王女が、一時の自由を満喫しつつスペイン広場で
ジェラートを食べるシーンから思いついたそのアイデアは、
真夏の仮設住宅で過ごす子供たちの元に、イタリアのスクーター"ベスパ"に乗ったVCMが、
冷たくておいしい"イタリアンジェラート"を届ける、というものでした。
併せて、遊園地の乗り物を楽しむ感覚で子供たちをベスパに乗せ、
ローマの休日のグレゴリー・ペックとオードリー・ヘップバーンのように
タンデムで施設内をゆっくりと走るベスパ試乗会も行いたい、と提案しました。

この2つのプランを事務局側に伝えると
「それは最高のアイデアです!是非ご支援お願いします!」との返事を頂き、
ようやくVESPA RINGの活動再開が決まりました。


その当時、七ヶ浜には大きく分けて4つの仮設住宅があり、
全戸合せると330軒、計893名の方々が生活(内、子どもは100名弱)していました。
我々は当初の活動理念に沿って子どもたちへの支援を最優先にしつつ、
仮設で生活する全ての方々を対象に支援活動を行う事にしました。
ジェラートとともにかき氷マシンも持ち込み、真夏の仮設住宅で過ごす皆さんに
ひと時の涼しさをプレゼントするという計画です。

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全戸に配布したフライヤーと掲示板に提示したポスター

​2012年8月18日(土)、
第三回目の、そして最後の支援活動となる~VESPA RING The 3rd Step~を開催。
​スタッフはVCMメンバー他有志30名以上が結集し、
2nd Step以降に全国から寄せられた物資と支援金を元に、
過去最大規模となる支援活動を行いました。

 

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夏空の下、潮風と子供たちの笑顔に包まれたこの日、
VESPA RING
は大団円を迎えました。
 

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一年半の長きにわたり、日本の、そして世界のスクータリストに支えられ、
希望という名の光を求め走り続けた日々。
我々が見つけた光は、子供たちが見せてくれた「笑顔」そのものでした。

石巻、福島、そして七ヶ浜で出会った子供たちの笑顔は、
生涯忘れることはないでしょう。


あの日、あの時、VESPA RINGを支えて頂いた全ての皆様、
​本当にありがとうございました。

 

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